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目白バースハウス(目白助産所)

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お墓掃除

お盆の時期がもうすぐ来ます。いつもお墓参りしなくちゃ!と、思いつつ、言い訳ばかりでお参りには半年に一度位しか足が向きませんでした。
 
前回お参りしたのはかなり前になるのかしら……
 
そんな事を考えていたら、祖父が肉屋を始めたきっかけについて思い出しました。祖母との出逢いや馴れ初めも。
 
戦争前に丁稚で働いていた所を出てきたそうです。その前に、何をしたら生活できるのかな〜、等思いながらこれから始める職業について考えていたそうでした。そして精肉店を構えると決心して、勤め先を出てくる時に「アニキ〜、俺も一緒に連れて行ってくれよ〜」と、その時の弟分だった人を連れて出てきたと。(幼い時には月に一回祖母と一緒にそこを訪れていました。)
 
まだその頃は肉屋が多くはなくて、頑張ってお店を開店することができ、弟分の方にも、2号店としてのお店を出させることができたそうです。
その頃はお客様のところを一軒一軒回って注文をとり、帰ってきてオーダー通りのものをこしらえて、そして届ける。お休みはお盆と暮だけ。そんな日々だったとか。
何となく今の私の仕事と同じ様な動きにも見えますね。
 
そんな日々のなか、いつも通りお得意さん回りをしていた時に、公爵家?でお手伝いしていた女性を見初めて、公爵にお願いしてお嫁さんにもらってきたそうでした。
祖母は小学校卒業して直ぐに「口減らし」のためにその公爵家に御奉公に上がったそうです。子守くらいしか出来なかったのを、台所仕事も仕込んで頂いた、と、話してました。ご主人の転勤に伴って、転勤先の台湾にもご家族について行き、その頃に洋食や中華を作れるようになったそうです。
日本に帰ってきてしばらくして祖父と出逢い、結婚したということでした。当時の戦中、戦後は配給制だった為に、お肉も勿論配給で。ただ肉の端が沢山出た時に、配給外で焼売を造って外で蒸して販売していたから、それは飛ぶように売れたそうです。台湾でお料理を覚えてきたのもベースになり、味も良かったので流行ったのだと思います。
実際に祖母の作ったお料理は美味しかったですから。
 
祖父母の話をすると永〜くなってしまうので、また次の機会に!

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